私が現在陶芸に通っているところは、教室ではなく、
地域の「自主運営クラブ」です。
年に一度、地域のお祭りがあり、
やきとりをはじめとする出店などに混じって、
メンバーが作ったものを販売しています。
以前に通っていた陶芸教室では年に1度作品展があり、
その年に生徒が作った作品を中心に、
先生の作品も交えて、素敵な展示をしていただいていました。
作品が引き立つように工夫していただいていると感じていました。
発表会的なものでしたので、
生徒の作品はもちろん、
先生の作品も販売されることはありませんでした。
作品展で、販売コーナーを設けるかどうかは、
教室や先生の考え方、運営方法によるようですが、
法人として陶芸教室を運営する場合には、
「生徒の発表する場があること」が条件にあるようです。
さて、今月(2018年10月)
地域のお祭りが開催されました。
1年間、コツコツと作りあげてきた作品に
値段をつけて、展示販売しました。
価格は、ほぼ原価(粘土代と焼成代の合計ぐらい)です。
時間がたって、
私の作品もポツリポツリと売れていっているようでしたが
正直、売上に期待する気持ちはないまま。
作品の中には、
「このカップのデザインは私の何かを表現している」
けれど、「あまり人から好まれなさそう(一般的じゃないな)」と
私が勝手に思っているカップがありました。
そのカップが売れていったときのこと、、、
何かが心に、
ふわ~っと。。。。
来ました。
恋?!みたいな。(あえて例えるなら。)
ひとつの物に二人で「共感」した時のような
喜びの感覚。
その方が、そのカップを選んだ理由が、
私が思っている理由と一致したかどうかは分かりませんが、
事実とか真実とか、実際のところはどうでもいいんです。
これってまさに
「お金以外の対価」を頂いたといって
いいのではないでしょうか?
そして
自分が、自分で「喜び」の感覚に
気づけたことが大事。
人が喜びとか幸せな気分を感じる理由は
様々あると思います。
学習塾か何かのCMで
「ヤル気スイッチ」が背中についている映像がありました。
あんなふうに、
自分という人間を幸せ気分にしてくれる
「喜びスイッチ」というのも
あるのではないでしょうか?
そのひとつが、
「共感を得られたと感じる事」かもしれないと
思った出来事でした。
そんな「場」を自分に用意してあげるためにも、
歌でも、料理でも、手芸でもいいので、
(もちろん、陶芸をおすすめ!)
「自分の嗜好を表現できるもの」を持つことが大切だと思いました。